学ぶ姿勢があれば伸びしろはなくならない

子曰く、学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)。

この言葉は中国の思想家孔子の言葉です。

一度くらいは耳にしたことがあるかもしれません。

年寄りの悪い癖。

何かと上から目線で、説教じみたはなし。

そう感じられるかもしれませんね。

もう少し辛抱して、読み進んでください。

なぜこんな古い言葉を冒頭に出したのかといえば、

この古い言葉には真理が含まれていて

その内容はまったく古いものだと決めつけられらないからです。

バレエにも十分応用のきく言葉なのです。

さて、

辞書には、「教えてもらうだけで自分で考えないのは、しっかり身についたことにはならない。学問には自主的な勉強・思索が必要である。」

ざっとこんなふうに説明されております。

バレエに当てはめると、先生から教えてもらうだけで

からだのつかい方、手や足の位置、目線、からだの重心など

どのように自分で確かめることなく

まったく受け身のレッスンであったならば

どうでしょうか?

自分でしっかりとからだで確かめ、自分の理解できる言葉に置き換え

先生のいわんとすることはいったい何なのか。

先生の言葉の真意はどこにあるのか。

自分のこころとからだで確かめて

どうすれば理解を深めることができるのか、

この作業はどうしても必要な気がします。

学ぶこととは、教えられたことを丸呑みし

受け入れるだけでは理解が深まることは難しい。

自分のあたまで考えることが不可欠なのだと。。。

さらに、

自分で考えてばかりで、他人や書籍から学ぼうとしないのは、独り善がりになり大変危険であるのだとも申しています。

つまり

人から教えてもらうだけで自分自身で考えないのはダメだし、また自分の考えが正しいと信じ込み、人から学ぼうとしないのもダメ

ということになります。

一見すると

禅問答のような、矛盾したことばのようにも思えます。

でも、

自分自身で気付かないと

何をいっても

「ネコに小判」

「馬の耳に念仏」

と、なってしまいます。

そうすると、どうなるでしょう?

なんども同じ失敗を繰り返す。

しかし、その失敗は自分がやったんじゃない。

相手が悪い!

と、なってしまいます。

ここまでいっていまうと、

もう手がつけられません。

行き着くところまで行って、

居場所もなくなり

そこで初めて観念して

すごすごと姿を消す!

そんな具合になる様子が、見えてしまいます。

が、

当の本人はまったく気がつく気配がありません。

そうならないで欲しいのです。

どこかで踏みとどまり、

自分自身を静かに振り返り

反省と予習をくりかえす。

なんだか学校の勉強のようですが、

学ぶことに基本的な行動パターンは

いろんな分野でも共通して、

使えそうなきがします。

先日、オリンピックの日本代表の方が

ニュースで放送していたある言葉が

とっても印象的でした。

「学ぶことは自分が死ぬまで一生続く

明日までしか生きられないと思い

今日一日を生きる」

正確な文章ではありませんが、

こんなふうに語っていらっしゃったと?思います。

というより、原文をわたしはこのように理解したというべきですが。

謙虚に学ぶことが続けられたらいいですね。。。。。

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